見て見ぬふりへの後悔

 

 

身近で突発的に起こった事故に対して即座に手を差し伸べられる人はどれだけいるだろうか

例えば 電車の急な運転停止でよく聞くこのアナウンス

「急病のお客様がいらした為 現在運転を停止しております。暫くお待ちください。」

急病、がどの程度かにもよるのかもしれないが 緊急ボタンを押すくらいだ かなり深刻なのではないだろうか

同じ車両に居合わせない限り私はただ無事を祈ることしか出来ないが 多分急いでいるとか心の余裕によっては早く早く、とイラついてしまうかもしれない

 

というのも先日 杖を使用している片足が不自由に見られる女性が同じ車両に居合わせた

別の方が席を譲り 譲った席まで誘導していたことから存在を認識した

その後 とても大きな駅で電車を降り、階段を下っていると 後ろから「キャッ」との叫び声があり直ぐに後ろがザワザワし始めた。

通勤時間の狭い階段、歩みを止めることは二次被害を起こしかねない チラチラと後ろを伺いつつも前に進んだ

ざっと見た様子によると先程の杖を使用している女性が階段を踏み外し 腰を打ちすぐには立ち上がれなかったらしい(私が階段を下りきった頃には立ち上がれて 残りの階段を下り始めていた)

直後 倒れた彼女の傍では何人かの女性が手を差し伸べ 声をかけていたが 私は混ざれなかった

あれから2週間ほど経つがまだ後悔している

階段の昇降の手助けなら付け焼刃程度ではあるが心得がある  すぐに駆け寄り 手助けが必要か、どうして欲しいのか尋ねればよかった

 

実は私も電車内で倒れ意識がなかったことがあり  たまたま乗り合わせていた方々に助けて貰ったのだ

昔から譲り合いについてはよくよく教えこまれていたし自発的に声をかけることが出来る方だったと思う 

けれど自分が助けて貰ってから 更に気をつけるようになった

緊急事態になる前に 何か手助け出来ることがあれば緊急事態そのものを防ぐことが出来るかもしれない

体調が悪そうな人に 席を譲ったり 少し様子をうかがったり…些細なことだけどそれが自分の受けた恩の返し方のような気がしている

先日 明らかに困っていた女性に声をかけられなかった私は その使命を違えたような、そんな感覚であって何となく同じ時間同じ車両を使う時にはつい姿を探してしまう

 

突発的に起こった事故、と書いたけれど それこそ目の前で倒れるくらいのことが起きなければ皆気づかないのではないだろうか

普段電車内での視線はスマホか 目を閉じてるか というような人ばかりでは  顔色が悪かったり 少し呼吸がおかしかったりする人がいても 倒れない限りは気づかないだろう

そこまで把握しようと思うとなかなか難しいところではある

ただ目の前でそれが起きた時 手を差し伸べられる人でありたいと思う

 

倒れたことしかり 普段から身体が強い方ではなく体調面では周りに散々迷惑をかけている自負があり ペットボトルの蓋すら自力で開けられない自分では体力面等さっぱり役には立たないだろうが

自分でも分からないくらい苦しかったりしんどい時に手を握って声をかけてくれた人の心強さを私は知っている

色んなところで色んな人に何度も助けて貰ってきた私だからこそ出来る何かがあるんじゃないか  と今日もまた同じ後悔を繰り返さないようにそっと周りに気を配る

暑くなってきた最近、車内(室内)と屋外での気温差で体調を崩す人が多く出てくると思います

これを読んでくれている方に   まず自分が倒れないことが第1優先、でももし困っている人がいれば手を差し伸べれる人であってほしいなと思います

 

 

 

今日も今日とて生きづらい

変化が苦手だ

 

変化、というとだいぶ抽象的だが 予定の変更や決まり事の変更というと分かりやすいだろうか

落ち着かない気持ちになったり 直したくなったり なにか堪えられない衝動的なもので とても気分のいいものでは無いから 苦手 という表現を使う 不安になるのだ  短時間で度重なると

自分で自分がコントロール出来なくなることもある

事前告知で防げることもある

例えば バスが時刻表通りに来なかったり いつも通る道が通れなかったり 約束の時間を過ぎても約束が果たされなかったり メニューの写真と違う配置の料理が提供されたり お店の内装が変わっていたり 漢字の書き順が違ったり こだわりがあるものの位置や形が変わっていたり 毎週やる番組が放送されなかったり……

決まりがあるもの全てのことに当てはまるわけではなく 割と限定的に苦手なことが多い気がする

自分でも不安に感じて初めて苦手だと気づくことが多い

逆に  髪を留めるピンに至っては洗面台のコップの中に入れる、という決まりがあるけれど いつもベッドやら 机の上やら 洗濯機の上、はたまたお風呂のボディタオルに挟んであったりする 全く記憶にない

そしてそれは特に気にならない   毎日のように無くした無くしたと騒いでは ちゃんと片付けろと怒られている 

 

変化が苦手だ、というと ちょっとめんどくさいやつだな と思うかもしれないが (実際自分でももう少し融通が効いて欲しいと思うこともある)  見方を変えると 変化して欲しくないものが変化しなければ とても安心するのである

 

頭の中は常に様々な考え事で混沌としている

曲が何曲か流れていたり 道行く人にコメントしていたり 次の予定に合わせて計算していたり 自分の歯を舐める感触 爪の形 痒み 目の開き具合 息遣いなどを気にしていたり 周りの人たちの会話(×複数)を聞き取っていたり…

狭い空間(脳内)に 大小様々な風船(考え事やそれに対する意識の比重の例え)が大きさを変えたり 数を変えたりしながら常にぎゅうぎゅうに詰まっているような感じである

変化が絶えない脳内で思考を常にフル稼働させているととても疲れる

その中に 絶対変わらないよ というものがあると安心するのだ

例えば 左右対称の模様であったり 時間の決まり(予定や約束)だったり 一定のリズムだったり この場所には必ずこれがあるだったり…

風車や水車、水槽の中で一定の量溜まるとパカッと泡が出るやつとか、振り子時計(秒針の音でもいい)とか そういうものはもうずっと見ていたくなる

心が乱れたり 落ち着きたくなった時には 一定のリズムで指をトントン打ち付けたり(貧乏ゆすりに近いかも?)  背中をトントン叩いてもらったり 他人の心臓の音を聞いたりするのがいい

感覚に同じリズムを刻むと強制的にそれに集中するので思考の比重が重くなるのだ

日常生活でのこだわりといえば  家から職場まで同じ道を通ったり、電車で同じ両数の同じ扉から乗り 同じ改札を使ったり、音楽アプリで同じ順番で流したり 1曲を延々と流し続けたり(順番が一緒だと全ての曲を合わせて1曲、みたいな捉え方になる)

一部のこだわりさえ常に不変であってくれればそれだけで落ち着くものだがなかなか上手くいかない

バスや電車は時刻のズレが頻発するし 人と会う約束はなかなか時間通りにいかない   ものの配置が変わっているとどこが変わっているか分からなくてもどうしようもなく気持ちが悪い  

仕事で言うと 急なシフトの変更であったり いる予定では無い人がいたり(修理業者の人とか 上司とか )  逆にいる予定の人が急な欠席でいなかったりとか  ものの配置や 仕事内容の変化など 変化だらけでとてもしんどい

何度も何度も繰り返すうちに 自分を納得させたり落ち着けたりすることは出来るようになってくるが ひどく不安になるのは避けられない

なんとも生きづらいものである

 

 

1曲を何度も何度も繰り返し聴いていると飽きた、と言われることから少し考えてみたので たどたどしい文にはなったが  なんとなくでも伝わって貰えると嬉しい

自分のこだわりを全て通すのが難しいのは分かっている

せめて人と会う約束の時間は守ろうな、、

 

 

私が高校に行けなくなった理由

鬱病と聞くとどんなイメージを持つだろうか

精神疾患、関わりたくない、精神が弱い人、怠けている人、怖い…兎に角いいイメージはないと思う

でも私がこの病気になって1番辛かったのは 信頼 を失ったことだった

鬱病の既往歴がある私を信頼することはこの社会ではとても難しいらしい

 

中学3年生 県で1番の進学校と謳われた高校への入学を目標に塾に籠りきりだった

苦しい家計に無理をいって通わせて貰った塾、家事と両立しつつも合格ラインギリギリの成績を何とかかんとか1点でも上げようと必死だった

優秀であることは母を笑顔にしたからだ

運動音痴でなんの取り柄もなかった私は頑張って中の上くらいの成績で 担任からはその高校はちょっと…なんて難色を示され、推薦は貰えないような子だったが 運がよかったのか功を奏したのか合格した高校で 期待に胸をふくらませていた

担任や塾の先生方はそれはもう喜んでくれた

母もおめでとうと喜んでくれていた

実際は合格発表の番号を見つけるとすぐ持病の手術をするために移動したので合格に浸る時間は無かったのだが

 

高校1年生の初夏 突然終わりを告げた母子家庭

あんなに苦労して入った学校で 間違いなく周りは自分より頭が良かった

ずっと憧れていた部活に入り 自分には難しい授業に食らいつき 友達に質問しまくり 行事に燃えていた

本当にこれから という時期だった

それからあっという間に 父方の祖父母宅での居候が決定し 肩身の狭い日々を送った

何でもない瞬間に突然泣き出したり 過去のトラウマ達を鮮明に思い出すトリガーが出来て苦しんだり 度重なる過呼吸の発作に怯えたりしていた

とても学校どころではない  だが進む授業  毎日の部活動  病院通いの日々  家でも学校でも取り繕った顔で過ごす日々に正直とても疲れていた

腕には消えない傷ができ 当時初めての彼氏となってくれた人にはもう文字に起こすのも恥ずかしいくらいに依存していたあの頃は それでもまだ鬱病ではなかった

 

父は何を思ったのか 急に父と母と3人で暮らすと言った それはもう決定事項で

3人での生活は付け焼き刃もいい所で 家族の形としてはとても異質だっただろう

父からの暴言  母との埋められない距離  みるみるうちに下がる成績  周りに迷惑をかけてばかりでとても続けられない と辞めた部活  著しく変わる生活で もう限界だった

 

そんな生活から1抜けると母が出ていくことを決めるより少し前 私はついに学校に行けなくなった

2年生になり 新しい友達とグループになるも 話題が合わずに上手く馴染めなかった私は 昼休憩の度に体育館の応援席の影に逃げていた

母子家庭なりに母と母娘よりは姉妹に近いような仲の良さで過ごしていた(私はそう思っていた)頃と比べて 幸せとは言えない真っ直ぐ立つことも難しい家庭環境では 彼女たちの日々に当たり前に存在していた親の愛というものがとてもとても羨ましくて妬ましかった

あ〜もぉお母さんこのプリント書いてって言ってたのに〜

私これ嫌いなのにお母さんお弁当に入れてくるんだよね

そんなありふれた会話に入るのに  「え〜めちゃくちゃ幸せだね〜」と返すのが正解ではないことくらいは分かっていた

 

朝身体が怠くて起き上がれない日々が増えた

飛び交う父の怒号  そんなこと言われても動かないのだとしか言えずに日々暴言を被っていた

学校の欠席連絡は親がしなければならない  これが1番キツかった

子供の私から電話しても怒られるのだ 事情を何も知らない先生達に もう何日も欠席が続いているわ、このままだと授業に追いつけないわよ、ほら頑張って来てみましょう、なんて言われたって行けるならとっくに行っているとしか思えず 泣きながら電話をしていた

緊急連絡先が母から父に変わり  父に担任から連絡が入りあっという間に話し合いという名の説教が始まる

食欲は落ち 夜は眠れず朝は動かない身体 這うように学校に行っても授業中が唯一の睡眠時間になってしまい居心地の悪さに耐えきれず保健室の常連となる

授業に追いつくため、と何とか通っていた塾にも行けない日が続き それらはどんどんと自分を追い詰めてきた

通学の電車で倒れて救急車騒ぎになったこともあった

命の危機だ、と駆け込んだ児童相談所では一生懸命一人で生きていく道を模索し駆け回ってくれたが 親や親戚の圧力によって簡単に押し潰された

 

母が家を出てすぐから 完全に起き上がれない日が増えた

ギンギンとした眼で 常に眠れず 排泄も食事すらも出来ずただベッドの上で連日タオルを濡らしていた

胃に何も入っていないのに吐き続け 体重は減り頬は痩けた

怒った父が部屋の扉を殴りあけてくることに怯え 人としての当たり前が出来ない情けない自分を恥じて ひたすら責められる事に耐え 生きてるのか死んでいるのかという日々

ある時 父に精神疾患用の病院に連れていかれ こいつはどこかおかしいんじゃないか と普段被りまくってる仮面はどうしたという喧騒で初対面の精神科医に向かっていく様に 恥ずかしいなんて感情はもう無く ただ怯えて震えるだけで 精神科医は気休め程度の薬を出した

その後この精神科とは1年以上の付き合いになるが 主治医は2度変わり 睡眠薬抗不安薬は増加の一途を辿るばかりで生活は何も向上しなかった

学校ではますます居場所が無くなり 進級に必要な単位がこのままでは足りない と担任との面談を繰り返す

夏でも震えるほど寒く 常にブランケットを2枚持って授業に参加し 体を起こすことがしんどく ブランケットを丸めて机とお腹の間に挟んで 溶けるように俯いて1時間の授業を終わるのを待つ日々

常に残りの単位を数えながらの授業に必死に耐え  テストは別室で名前を書くだけのような途中退出ばかり

精神科では入院による治療を薦められるも 入院=留年 の為に断り続けた

留年してしまえば もう1年父と2人で過ごすことが確定する

父は高校を卒業するまでだ、と言ったからだ

卒業して家を出る それしか自分が自分になるための道はないと分かっていた

同じクラスに事故による後遺症で学校に通うことが出来なくなった子がいた

同じようにあと一単位で留年という状況の中 彼女への周囲の対応と私への周囲の対応は雲泥の差で

あぁこれが精神疾患への周りの認識なのかと思った

彼女は自分達への周りの扱いの差に怒ってくれていたが  私は悔しさよりも諦めが勝った  卒業さえ出来れば周りの評価なんてもうどうでもいいと思っていた  こっちは生きる為に必死なんだ

 

受験の準備と同時進行で 上京先の住居を決めた

まだ11月だった  出ていく前の母に渡されたこれから先の全てのお金 というものを握りしめ そこから高校時代の生活費 受験費 遠征費 新居への引越し費や 入学金等々を計算しやりくりしていた   さながら一人暮らしである

私立は受験せず 国公立大学1本と専門学校を何校も受けた

センター試験はギリギリ7割と 大学の合格ラインは超えていたはずだったが前期も後期も不合格だった

絶対受かると思っていた専門学校も全て不合格だった

選んだ進路が看護だったからだ

看護業界で鬱病は受け入れられない 心が強い人ですらやっていくのが厳しい世界だ

鬱病という既往歴を隠して臨んだ学校ですら 欠席日数 早退日数の多さ 必要単位ギリギリの成績では信頼は得られない

 

受験は私にとって救世主だと思っていた

合格すれば家を出られて 自分の学びたいことを学べる場所で  人として生きられていない現状を変えることの出来る大きな一歩になる、と

何故鬱病になったか 今の病状 上京によって回復が見込めること この学校への熱い思い 目指す看護像 働きたい病院も決まっていた

どんなに説明しても 正面から挑んでも それらしく取り繕ったとしても 合格者一覧という紙に私の番号はなく焦るばかりで

なりたくてなった訳じゃない鬱病は 高校から、あの混沌とした家から、抜け出したい私の大きなしがらみで枷で どうすればいいのか分からず 目の前が真っ暗になった

 

それでも卒業するより早くに引越しを終え  卒業したその日に家を出て 早くから家賃を払っていた上京先の住居に移り住みひとり暮らしを始め

半年近くかけて夜寝て朝起きる生活が出来るようになってから 看護助手として働いた

看護助手として働いた経験と 同じ職場で働く看護師さんが学校への紹介を書いてくれて挑んだ受験、浪人1年目でも全ての学校が不合格だった

不合格を突きつけられる度に この社会に必要ない この世界で人として不合格 と言われているような気がして何とも耐え難い苦しさを味わった

 

人生の汚点 黒く黒く底の見えない闇の中 必死にもがいて生きてきたけれど 今もまだ努力に努力を重ね大学の合格を勝ち取り 通う同級生達に対しての劣等感は拭えない

大卒と高卒との差を日々感じている

あの高校で 私たちの代で 唯一の高卒なのではないだろうか

高校側からしても私は汚点だった

 

思えば高校は合格発表も卒業式も余韻に浸る暇なく3年を駆け抜けた日々だった

楽しい先生や高度な学びの中でやりたいことは沢山あった 大好きな先生もたくさんいた 授業だけじゃなく行事だって本当はもっと楽しみたかった 修学旅行だって行きたかった

志半ばで諦めた部活動 大好きな先輩たちのようになりたかった

 

高校は義務教育ではない

自分が学びたいと思い 自分で選び お金を払って通う場所である

高度で専門的な学びを得る為の基礎力をつける場所である

だが どんなに高い志を持っていても 色々な事情で思うように学校に通えない子はいる

その子たちに心無い言葉を放ったり 邪険に扱う前に少し考えてみて欲しい

彼らの姿は自分だったかもしれない 誰にでも起こりうることなのだ、ということを

 

 

 

 

 

母さんが母さんをやめた日

私の母は 戸籍上もう母親ではない

とはいえ血の繋がりが無くなった訳では無いので母親であることに違いは無いのだが 

書類上、という表現は私を今も苦しめている

 

物心ついた頃には既に母子家庭で 母子家庭ならではの経験だってしてきた

小学生 給食代を援助してもらっている家庭の子が その事でいじめられた話をした日 目の色を変えて母は怒った

私も給食代の援助してもらっている立場だった

病院に行くと1人だけ保険証ともう1つ見開きの紙を渡していた

病院の受付でお金を払う人を不思議に思っていたが何も聞けずに静かにしていた

ある日 病院でいつものようにお金を払わず ありがとうございました と声をかけて靴を履いた時

見知らぬ奥さんに声をかけたられた

あなた お金は?と   え、と戸惑う私は受付のお姉さんに庇われたけど その奥さんや待合室にいた人たちからは白い目で見られ  税金の食い潰し いい暮らししてるくせに なんて言葉を浴びた

母には言えなかった

 

隣の人は 母子家庭というだけで 母を毛嫌いしとんでもない嫌がらせや 根も葉もない噂を撒き散らして私たちの居心地を悪くさせた

同じ市営住宅に住む仲間のはずなのに  母子家庭なんだからこんなとこ住まなくても十分暮らせるじゃない、母子家庭だからこんな子になるのよ とネチネチとすれ違う度に文句を言われる中で 母は私に

笑顔で挨拶をしなさい  と言い聞かせていた

 

母子家庭は唐突に終わりを迎える

高校一年生の初夏 放課後の教室

友達と課題をしていたとき

母から 「もうあなたとは暮らせない」と1通のLINE

その後 学校への距離の関係で 父方の祖父母宅に居候することになり 夏も終わる頃 父の突然の一言で家族3人で暮らすことが決定した

母と暮らしたあの狭い家に3日泊まり込みで引越しの作業をした

古いアルバムや 小学校6年間使ったランドセルを見て 母と思い出を語った

私のアルバムは赤ちゃんの頃と七五三くらいしかない

母の結婚式のアルバムの写真は幸せそうに見える

ほとんど寝ずに片付けをし 2人で掃除をしたあの日々は忘れられない

何故あの日 母はわたしと暮らせないと言ったのか

分からないまま 許されたような気になっていた

 

一緒に暮らすようになっても 実情はシェアハウスのようなもので 父と母は度々にぶつかり喧嘩をした

時々夕食の時間に 父と母と3人でコタツ机を囲んだ時には あぁこれが私の思い描いていた理想の家族だ と思ったものだが 母の顔は日に日に暗くなるばかりで

なんとも言えない日々が続いた

また初夏が近づいた頃 母は家を出ると言った

あの日 夕食の席で私は わかった としか言えなかった

母は1度決めたら 誰が何を言おうと意見を変えることはない

何度も何度も考えた末の結論に 固い意志に  その日その場で初めて聞いた私の付け焼き刃の言葉なんて届くはずがない と諦めた私はただ母の言葉を一生懸命に飲み込むことしか出来なかった

母の疲れが滲む顔で目だけに 少しホッとしたような解き放たれたような 光が見えた気がした

話し合い、というものは 基本お金や親権のことで なんとも事務的かつ効率的なものだった

本当に家族だったんだろうか あの半年と少し3人で過ごしたこの日々はなんだったんだろうか 母には負担でしかなかったのだろうか 母は何を考えていたのか 何を考えているのか 頭の中には色々と聞きたいことが溢れているのに何一つ聞くことは出来ず

耳を塞ぎたくなるような父と母の口論の中 1人生きていく道を探った

母のいないこの家で父と暮らせるはずがないと心が警鐘を鳴らしていた

3人で過ごし始めてからの日々の中で 母は取り繕った顔で父と私の間でクッションになってくれていた

父の歪んだ愛と 思春期の私、15年以上離れて暮らしていた相手と上手くいくはずがなく それは虐待だった

結局1人生きていく道 というものは大人たちの圧力によって押し潰され私に選ぶ道は残されないままにその日が来て

母は朝学校に行く私に 「2人で大丈夫?」と声をかけた

1度も一緒に行こうと言ってくれなかった母

私を置いていく前提で常に話していた母のたった一度だけの歩み寄りに 私は 大丈夫だよ と答えた

母の苦しみは 私には全て分かることは出来ないけれど 自分の存在が母を苦しめていることには気づいていた

あの時 大丈夫じゃない 私も連れて行って 一緒に逃げて と言えば何かが変わっていたのだろうか

やっと解放される母に縋りついていれば その後の辛く苦しい日々を過ごさずにすんでいたのだろうか

母の最後の言葉は 「行ってらっしゃい」 

もう二度とおかえりと言ってくれないあの人のあの口から紡がれた私に向けた最後の言葉

学校から帰ると 母の部屋だったところにはもう何も残っておらず 家電や食器たちもほとんどが無くなっていた

実は3人で暮らし始めてから母の部屋に入ったことがなかった私は 扉越しに見える母の身長より高く積み上げられた荷物しか見た事がなかった

あれだけの荷物がこんな狭い部屋に詰まっていて あの人は一体どこでどうやって寝ていたのだろうと愕然とした

あの人のいない あの人の部屋だった空間で1人泣いた

ただの一筆も残さず 何を言うことも無く消えたあの人

今どこにいるのか 生きているのかすら分からないあの人は

今 私の母というしがらみを捨てて自由になれたのだろうか

 

高校を何とか卒業し 卒業したその日のうちに逃げるように上京した私はもうすぐ4年目のその日を迎える

未だ過去から脱することの出来ない私は3年をかけて自分の今までの境遇や特殊な家庭環境について向き合え始めたところで 

 

今日もまた母と2人で過ごしていた頃のお揃いのマグカップでホットミルクを作り 眠れない夜にあの人を想う

ドライブの楽しみ

見立て遊び、と言えば 偶然できた形を何か別のものに見立てて遊ぶことなのだが 私はドライブ中の見立て遊びがとても好きだ

 

空に浮かぶ雲を あれはうさぎロケット!とか 弓矢を持ったケンタウロス!とか 子供さながらに遊んでいるが ドライブ中の1番面白い見立て遊びは 車だ。

車の後ろ姿を顔に見立てる人は一定数いると思うのだが 人によってどの部分をどの顔の部位に見立てるかはそれぞれ違うだろう

私の場合は 赤いテールランプが目で ナンバープレートが口 ウインカーはウインク   時たま赤いテールランプとは別に下の方に赤色の細長い楕円形のランプがあるが あれは頬を染めていることにしている

そうやって見立ててドライブをしてると本当に様々な顔をした車がいて面白い

切れ長の目だったり タレ目だったり クリクリだったり 横長な顔だったり シュッとした顔だったり……

ウインカーは特に個性があって面白い

一定間隔でピカッピカッと バッチリウインクしてくれる車もあれば ちょっとカッコつけて流し目ウインクなんて車もいて 頬が緩むのを止められない

スポーツカーは 細マッチョなイメージめちゃくちゃチャラくて格好つけ 自分がイケメンだと思ってる、みたいな 偏見の塊だが。

ナンバープレートにも デザインがあったりして面白い。自分でナンバーを決めてる人の見分け数字とか  レンタカーのひらがなとか  知れば知るほど ただすれ違うだけだった車が意味を持ってきて 見え方が変わる。

顔見立て遊びに飽きて退屈になってきたらナンバープレートに書いてある数字4桁をひたすら足し算して遊んでみたり、渋滞で全く動かない時には 周りのナンバープレートの数字を2桁×2桁なんてして遊んでみたり…

運転手がめちゃくちゃ地理に詳しい人の時は ナンバープレートの地名から県名当てをしたり その土地の名産や有名なものを教えてもらったり…… 

 

ドライブで遠出すると必ずと言っていいほど通るのが高速道路。

幼い頃は高速バスで高速道路に入ると  真っ直ぐでトンネルばかり。景色も変わらず面白みがないと思っていた事もあるが 最近ドライブをしていて 高速道路が大好きになった。

高速道路の上り坂でみんなゆっくりになってしまうのだって  頑張れ〜頑張れ〜 なんて言いながら進めばなんとなく応えてくれてるような気持ちになって前の車が可愛くて仕方なくなる。

上り坂になってるトンネルでは トンネルの側面にある速度を可視化したランプが一緒に走ってくれてるみたいに見えるし  ちょっとハウルの動く城の光の妖精(女王の魔法のやつ)みたいに見えたり(笑)

若葉マークの車は なんだかキラキラしててちょっと不安げに見えるし  ずっと前後で一緒の車がいればどこに行くんだろうなんて思いを馳せたり。同じところで降りればもう友達のような感覚だ。

料金所のお兄さんお姉さんの中には行ってらっしゃい!なんて声をかけてくれる人もいたり 高速道路にだって楽しいが溢れていることを知った。

 

ドライブは景色メインで楽しむことに間違いはないが 私は景色以外にも楽しい事がたくさんのドライブが本当に大好きだ

1番嬉しいのは 運転手など一緒にドライブをしてる人が私の見立て遊びなどに一緒に参加して遊んでくれたりすることだ

あぁまたドライブがしたくなってしまった

今は空の旅

段階的成長と挑戦

ジグソーパズルというものにハマった 

 

この一文を書いて ジグゾーパズルと今まで呼んでいたものが ジグソーパズルということを知って困惑した

すぐさまGoogle先生に 違いを聞いてみたけれど 望んでいたような明らかな違いは見つからなかった

とりあえずジグソーパズルの方が正解のようなのでそれで。

 

ハマった、とはいうものの  幼い頃は型はめパズルのような10ピースほどのパズルを組んではバラして遊んでいたくらいで そこまで熱烈なパズル好きではなかった

 

上京してジブリショップの存在を知り足繁く通ううちに パズルに惹かれていったのだが 実際はなかなか手が出せなかった 値段のせいもある

 

ところが   ステンドグラスパズルの ”耳をすませば 秘密の物語”のバロン(フンベルト・フォン・ジッキンゲン男爵)とルイーゼ(バロンの恋人)の2人が向かい合うパズルに一目惚れをし 遂に購入に至ってから パズル欲に火がついた

 

バロンのパズルは126ピースの写真立てほどの大きさで1晩で完成し 若干の物足りなさを感じつつも大きな達成感を得た

 

その後1年ほど経って またジブリショップで一目惚れした 魔女の宅急便 海に浮かぶ街

フレームまで全てパズルで出来ている500ピースのパズルで 同じようなピースが多くなかなか難しかった

夢中になって徹夜してまで取り組むも もともと色弱なところがあるのもあり なかなかピースがはめられなくて

途中からは ピースの種類ごとに 1凸、2凸、等と分けて 形でパズルを完成させた

絵ではなくピースの形でパズルを作っていくのは 同じように見えて一つ一つ異なるピースと対話しているようで とても楽しかった

 

500ピースのパズルが1晩(徹夜)で完成できることが分かり 今まではなかなか難しいだろうと諦めていた1000ピースのパズルを買おうと決めた

真っ白な絵のないパズルがあると聞いた事があり 次はそれに挑戦してみようかなと思ったが やはり完成品を飾り眺めるというパズル完成後の楽しみは欲しい と 今回は絵のあるものを。

 

とはいえ、いそいで手に入れるものでもないのでゆっくりネットやら たまたま立ち寄ったお店やらを見ていたのだが、なかなかピンと来ない

その中で小さなお店にあった とっても大きな夕暮れのお城のパズル、ラプンツェルのお城のモデルになったモン・サン・ミッシェルのような  に惹かれ店頭で尋ねるも現在は販売してないといい、ネットを探すも見つからず……

そもそもその一目惚れしたパズル、3000ピースだろうかというとても大きな作品で 賃貸の我が家ではとてもじゃないが飾る場所なんてない

今は見つからなくて良かったのかもしれないと思っている

 

最近ディズニー映画の 塔の上のラプンツェルを再び観たこともあり 同じお店に置いてあったラプンツェルとユージーンが小舟で灯籠を見ている絵の1000ピースパズルを選んだ

 

時間がなかなか取れないことや、大きすぎて机に乗らない等の事情もあって完成までは程遠い状態だが 必ず完成させたいと思う

既に愛猫の噛んだ跡がそこらじゅうのピースについている

ものづくりへの欲求

制作体験がしたい

 

陶芸とかガラスとかキャンドルとか飴細工とか……探せばきっとたくさんあるのだろうけど いざ行こうと思うとなかなか腰が重い 端的に言うとどこも遠いのだ 金額もある

比較的安価かつ身近で体験できる食べ物系の制作でもいいのだが やはり形に残るものがより魅力的に感じる

自分には才や豊かな感性がないのは分かっているのだけれど何かひとつ最初から最後の行程までやりきるその達成感がいいのかもしれない  制作体験の文字を見ると食いついてしまう

 

やりたいやりたいとは言ってるが つい最近同行者と共にトルコモザイクランプの制作体験ができるお店に行ってきたばかり

選んだのはキャンドルホルダーで トルコモザイクランプでは無いのだが ガラスのチップを好きな柄に貼り付けて制作する3時間くらいのコース

机に置かれた紙にはメインとなる大きなデザインと 小さなデザインの見本が書かれていた

その上にチップを置けば同じデザインが出来、自分で配置を決めて制作できる

私みたいな 自分でなにかデザインを生み出すのが苦手な人用なのだろう

特に理由はないのだが私はせっかくの制作体験でも 何となく例のように作るところがある

もしかしたら例のことをお手本のように捉えてるのかもしれない

私が作ったのはそれこそお手本のような 例に使われそうな特に個性も何も無いものになった

だが一緒に行った彼は違って どこまでも独創的だった

そもそも紙に置いたデザイン通りにキャンドルに貼り付けないのだ

さっきまでのデザインはなんだったのか と手直しをしてしまって ふと これは彼の作品だから私の価値観を押し付けるのは間違っていると気づいて手を出すのを辞めた

デザインが左右対称であるかとか 同じ間隔ではめるとか そういうこだわりが全くない彼の作品は あぁこれは本当に手作りなんだなという温かみのあるもので

そういう枠組みに囚われない自由な発想や行動がとても羨ましく感じた

ただ自分の作品ももちろん気に入っている

手作りしたの?というようなありふれたものではあるけれど自分が好きな柄で好きな色でところどころに拘りが沢山詰まったものだから

 

地元に 吹きガラスやステンドグラス、マドラーにとんぼ玉などが制作できる ガラスの里があった

昔1度行ったっきりの場所だが 今でもよく覚えている

車でしか行けないような辺境地にあって 他のところへ行く途中でなんとなく寄った、程度だったがとても魅力溢れる里で 時間が全然足りず制作体験など何も出来ないまま帰った

いつか行きたいと思うもなにせ交通手段が車のみであるからして なかなか行けないうちにもう行くことは出来なくなってしまった

ガラスの制作体験に拘っているのは あの里に行くことが出来ないまま 後悔を引き摺っているからかもしれない