刹那

 

仕事終わり、上長と俯きがちに今日の後悔やら反省やらをぼそぼそ呟きながら駅までの道を歩き 反対方面に帰る私は踏切によって分断されたホームを目指して 挨拶を交わした刹那  彼は高い身長に似合わず少し控えめに目線を低く話しかけてきた

突然ごめんね、英語話せる?

あ、ナンパかな?そう思いつつも踏切が開くまで時間があり逃げる術はなかった   いや、彼の控えめなその姿勢に影響されたのかそもそも逃げようと思ってはいなかった  久しぶりに聞いた日常会話の英語や彼の発音の心地良さに絆されてしまったのかもしれない

話せるよ どうしたの?

それは良かった、僕こっちで友達がいなくて最近寂しくてさ…誰か英語が話せる人と話がしたかったんだ   もし良かったらあのコンビニで何か買うし 少しの時間だから話せないかな

在り来りなナンパ文句なのかもしれないけど 彼の装う雰囲気は少しセンチメンタルな感じで 即答で断ることは出来なかった

答えを迷うタイミングでちょうど電車が横切って不思議な緊張感は和らいで 冷静な頭で明日も朝から仕事で今からはちょっとな、とNOの答えが出たところで  ごめんね、急いで家に帰らないと行けないから無理  ってこれまた在り来りな断り方で断った

彼は少しだけだから、なんて追い縋ることもなく 踏切が開くのに合わせて

大丈夫 気にしないで ありがとう  

と踏切の向こうにあった”あのコンビニ”には向かわず 来た道を少し俯いて去っていった

 

時間にしたら本当に1、2分の事だったけれど 彼と別れてしばらくは何となく高揚した気分で  でもだんだんと 凄くもったいないことをしたのかもしれないという後悔に苛まれて  いつもなら寝て過ごすだけの帰りの電車内で必死にここに綴っている

毎日 仕事に行っては帰り その日の仕事の反省や次の日の仕事を心配し また仕事に行く 6連勤 1日休み 7連勤の中で ”明日も仕事だから” という理由で断った

もしちょうど答える時に電車が通って一瞬の沈黙が無ければ YESと答えていたかもしれない

それくらいに魅力的だった  彼はきっと私の知らない世界について語ってくれただろうし 背中に背負うバイオリンか ウクレレか の存在も気になった

 

あの時もしYESと答えていれば

 

何かが変わったかもしれない  世界が広がったのかもしれない  踏切が上がったあの時私は何かが変わるチャンスを失ったのかもしれない

でもきっと私はもう一度あの時に戻っても やはり後ろ髪を引かれながら ごめんね と言っていたと思う

今日も仕事でとても疲れたし 明日も仕事なのだ  彼と話そうが話さまいが明日の仕事はなくならない  少し自分に言い聞かせながら顔を上げると電車は目的の駅に着いていた