傾く会社と私の未来

 

前記事でちょっと触れた 半年くらい寝かせてた記事、この頃の自分に少しくらい報われて欲しいので公開します  結構ヘビーです

 

↓↓↓2020.8

 

仕事を辞める決意をした

 

カフェレストランのオープニングスタッフ(正社員採用)として2月に面接を受け  3月には都内で研修がスタートした

じわじわと感じるコロナウイルスの波  3ヶ月程度が見込まれていた研修は 突如1ヶ月を経たずに休業という形で打ち切られた

というのも研修先は都内の駅ビルに入ったカフェ、休業要請が出るや否や即座に休業した

営業再開は未定だった

その後 「休業」を言い渡された私は正社員候補のためダブルワークも認められず ただひたすら残高が減っていくばかりの通帳を眺めては悶々と過ごした

 

5月の終わり頃やっと来た連絡、6月の半ばで開業予定なので6月の頭から予定を空けておいて欲しい

6月の半ばに向けて 顔合わせ、ちょっとした片付け等で2、3回お店に入った

社員研修という名の 高校受験の集団面接みたいなディスカッションもあった

講師を招いて2日に渡って行われたそれは 全体の意識を統一するのに適していたと思うし 実感が全く無かった私には  このお店が目指していく形やスタッフ達との相性を見るのにとても役立ったと思った

あんな形だけのものが何の意味もなさない事を知らなかった私は 相当に甘い世間知らずだった

研修も終え 進む準備 食材が届き 備品も揃った

士気高く迎えた開店日 目標金額は100万と高らかに宣言した  ケーキは1000個用意され ランチメニューはおよそ80食分以上はあっただろうか

人が来ない コロナの影響なのか オープンへの周知の低さなのか

当日は20万行ったかどうか

その後も雲行きは怪しく 晴れることは無かった

上層部が毎日のように来てお客様がいる横を陣取り会議を開いた

社員やバイトたちに強く当たり  溜まっていく不満

日々 スタッフたちから聞く愚痴

毎日更衣室で次に誰が辞めるかという話を聞いた

明るい話はなかった

次を見つけてから辞める人、とりあえず”やってられない!”と辞める人…時期は違えど1ヶ月経つ頃には

ついにホールスタッフが大学生バイト2人(週1~2  6時間)になった

全ポジション何人も辞めた 社員は当初の半分になった

人件費を削りたい上、読めない戦況 弱い戦力の中余裕が欲しい現場、容赦なく削られる人件費

突如全員一斉退勤を言い渡された日もあった

店長は毎日オープンラスト 死んでいく顔色 支離滅裂な言動が増えた 正直怖かった

あの研修で見たキラキラしたお店の未来は もう面影すらなかった

 

料理長しか作れないバスタ料理 ファミレスとは違ってゆで汁の塩加減、パスタソースの味付けに汁量、ゆで時間と盛りつけから提供までの兼ね合いを含めた計算…知識と技術が必要だった マニュアルはないも同然 信じられるのは自分の舌 

試作に試作を重ね 家でも何度も作った

何店舗かを巡ったりヘルプで来る料理長の味を食べたりして研究もした

オイルパスタは本当に難しかった

店舗(料理長)ごとに味が違った

ファミレスで育った私には全店舗いつでも同じ味が基本だった

でもそれがこの店の売りだと思っていた

 

開店前日料理長が1度全てのメニューを作って見せた

私は 料理長が キッチンスタッフがお客様に提供する前に試験のような形をとると思っていた

全てのメニューをそれぞれに作らせ 評価をするような そんな試験

このレベルならお客様に出していい、これを店の味と言っていい、そんな証明のようなものがあると思っていたが無かった

だが開店してすぐに何故か料理長は厨房に立たなくなった

任されたのは  コロナの影響もあり研修を受けていない社員候補A、B、私と同じ時期に入社し 1ヶ月ほど研修を受けたCと私。 Bはほぼ未経験。

パスタ場とサラダ場に分けられる厨房で 中枢となるパスタ場に立ったのはAだった

Aのパスタには見ているだけでもムラが多く目立ち この店の味を知らない彼に何故突如全てを任せたのか私にはわからなかった

彼が料理長に味を見て貰っているところを見たことがない

私やCは積極的に味を見てもらったし 講評も貰うように気を使っていた

Aが休みの日 自然とCがパスタ場に立つようになった

シフトが組まれてくると更に差がわかるようになった

AとCはロングシフト、Bと私は開け作業か締め作業要員で基本的にはサラダ場(補助)の役割だった

パスタ場に立つのは AかC  それがありありと見えるシフト

私がパスタ場に入るのは AかCの休憩時間だけだった

当時 社員候補(研修段階)だった私たちの給料は時給だ

開店した初月の給料(時間数) これだけみても A、Cと B、私の差は歴然だった   大体A、Cの3分の2が私たちの給料になる

その後の対応も AとCさえ残れば他の3人は辞めてもいい、と受け取れるようなものばかりで

主要業務である発注、変更点などの指示、シフト作り…etc.  任されるのはAとCだけで

私の頭上を超えて AやC指示が出されたり 何かを質問されたりするのが当たり前になってきた頃  社員登用の話が上がった

キッチンの社員候補ひとりひとりが料理長と面談し社員になるか否かを聞かれる

否=退社である

それぞれに提示された月給 私とAでは7万の差があった Bと私の月給は同じだ

176.5時間 という最低労働時間数が提示された

これを下回ると減給である ちなみに+30時間は見なし残業(つまり残業代が出ない)

そして新店舗人件費削減の関係で   私とBは新店舗のスタッフとして雇われたにも関わらず  何件かの店舗のヘルプをしながら新店舗にもヘルプに来る、という完全なる穴埋め要員という告知がされた

だが この後Aが社員登用を辞退し 退職の意を示したことによって更に状況は変化した

穴埋め要員は私だけになり BとCが新店舗を基本2人で回し 彼らの休日のヘルプ要員として私が赴くことになった

更に数日後 私は完全に別店舗に異動することが決まった

それを知ったのはCからの情報で その日中に新店舗にあった私物は全て撤去することを求められた

何故 私が異動に選ばれたのか 何故給料にこれほどの差があるのか 4人とも同期で 実力的にもCと私に差はない   何故、何故、という思いは誰にも相談出来なかった

 

私の異動と時期を同じくしてメニューが変更になった

パスタメニューからロングパスタは消えうせ誰でも作れる簡易メニューになった

当初から売上の悪いキッチンは非常に敵視されていて   入れ代わり立ち代わり来る上層部から何度 キッチンは必要ない と言われたか分からない

あぁついにか、と思った  ついにキッチンスタッフの存在意義は無くなったか、と

 

異動先の店舗では私はキッチンに立つことは無かった

ドリンク作りが8割の 忙しい時限定サラダ場補助要員

会社支給のコックコートが嫌に虚しかった

新店舗では人件費削減の為削られまくったシフトで当たり前の様に半ホールと化していたキッチンスタッフだったが 異動先の店舗でも全スタッフ全ポジションを目指した取り組みがされ始めており  ホール責任者の店長がキッチンにてパスタを習い、キッチンスタッフの私がホールに出ていくような日々

ドリンクメニューはバリスタ資格を持った子や 何年もバリスタとして経験を積んできた子達がやっていたポジションである

配属当日 突然 「30分で全て覚えてワンオペして」と言われ  一通りを ”知った”  だけの存在に何ができるというのか

異動先でどのポジションをやるように言われるか分からないな、と思っていた私は   3月に軽くやり方を教わっていたものを予習しておいたので覚えは早かった

だが技術は違う話だと思う

ラテ等に使われるミルクの泡  ”音” で教えられるその作り方が私には分からなかった

そもそも体質的にコーヒーの類が飲めず 香りの強い紅茶は苦手で飲めない私からすると 本気で未知のものを作っていて ぶっつけ本番でお客様に提供するこもに深い拒絶感があった

それでも仕事なのでやらなければならない

手が空いたベテランスタッフに 泡立てを見せてもらい 合間を縫って練習し 3日目には10回に1回くらいは納得のいく見た目の泡立ちが出来るようになった

ラテアートが出来る人は本当に神だと思う

練習の時間はほとんど取れない 手が空いたらキッチンの仕込みに サラダ場補助、ランチのみで締め作業に入るキッチンの締め作業、常に溜まるディッシュ…とやることは山のようにあって日々アップアップしながら目まぐるしく働いているので 自分が納得できるまで練習、なんてことは出来ない

練習、というのはカフェオレである

カフェオレに泡は必要ない ミルクを温めるだけでいい(店舗自論)らしいので カフェオレのミルクを泡立てる事で練習していた

つまり練習相手はお客様である

いくら飲食業界が手技で習うより慣れろ 技術は見て盗めという教育方法だとしても  見る相手もいなく 自分対お客様の一本勝負の日々

一生懸命作ったオーダーを目の前で捨てられ 別のスタッフをわざわざホールから呼び 作らせる なんてことも何度もあった

その度に 冷たい視線を浴び お客様は待たせている

日々自分との戦いだった

 

 

私の目は上手く距離感が掴めない そしてとてつもなく視野が狭い

クレーンゲームのようなもの といえばわかりやすいだろうか

画面越しに世界を見て 手を操っているようなそういう感覚である

段差が把握出来ないので階段を補助なしで自由に降りられない

何かにぶつからずに歩くことが出来ない

これまで日常生活で困るのはその程度で特に仕事上でこのことを伝えることはしてこなかった

ホール業務をするようになってこれが如何に大きなハンデになるかを知った

ご案内の直後にお冷の提供をするのだが 透明なグラスに透明な水、ガラス張りのテーブルと来た

お冷の提供時に上手くコップをテーブルに置けず水が溢れた

ガンッと強く置いているように見えるだろう

すぐさま謝罪し 換えのお冷を片手でテーブルを触りながらそっと置くことで対処してきたが 百発百中で失敗する自分、いつお客様にぶっかけてしまうか分からない恐怖

オーダー提供時にも同じようなことは沢山あった

何せテーブルとの距離感が全く掴めないのである

思ったところにテーブルがない 何度こぼし何度物を落としただろうか

何故未だにクレームが入らないのかが不思議なくらい散々だった

これまで耳が聞こえないから、とホールに出るのを断っていた自分に対して さらに大きな壁が出来たことに非常に戸惑っていた

ホールに出ることはお店への迷惑になる、と思った

ケーキや料理、ドリンクが美味しくてこのお店いいな、と思ったお客様が もし私の接客のせいでもう二度と来ない となったらそれは会社の不利益に繋がる

そしてケーキ場は不可能だろうと悟った  ショーウィンドウを挟んでの対面やり取りは お客様が下を向くので全く聞こえないし  カップなどと違って触ることで確かめられないケーキの取り扱いは非常に難しい

 

せめてドリンクだけでも、と思いバリスタの社会人向け教室に通おうかとパンフレットを取り寄せた頃  料理長から事業の規模縮小の話をされた

多くの店舗でキッチンを無くす

もう料理は作れないと思って欲しいと言われた

次の月からは 籍はキッチンのまま   ホールやケーキ場、ドリンクシフトになるので最低労働時間数に届かないと思って欲しい(つまり減給である)と

会社の方針に賛同して続けるのか 辞めるのか 判断して欲しい、と。

 

非常に迷った  正直新店舗開店直後から辞めたいと思っていた

ここに書ききれないくらい酷い扱いをされた

理不尽なんて言葉じゃ言い表せられないような日々だった

毎日毎日仕事終わりの更衣室や帰り道に涙が止まらなくなった  時には休憩時間泣き通したことだってあった 辛かった 本当に辛かった

だが毎月の出費に対しての収入が少なすぎて 仕事を辞めて 次の仕事を探し、面接の日取りを決め、面接から結果連絡を待ち、採用後も研修の為 短時間労働 シフト数が入れるようになるまでの期間と その間の生活を続けられるお金がなかった

辞めなかったのではなく 常に 辞められなかったのだ

 

この機会を逃したらきっとやめられない、そう思った

ファミレス時代の社員(親友以上家族同然 夫公認の私の保護者)  (以下 y)についに泣きついた

雇ってくれないか、と

ファミレス時代の店舗ですら 愛人関係にあるのではないか と要らぬ噂をされて肩身の狭い思いをしたし 2度目の異動で店長代理となった彼の汚点になるような真似はしたくなかった

彼と次に一緒に仕事をする時は ”頑張ってる新人ちゃん” ではなく ”安心して背中を預けられる戦友” になりたい と今の職場で奮闘していたのだ  それがギリギリのところで毎回 職場から逃げ出さずに耐えてきた心の支えでもあった

私と彼の以前の勤め先の店舗は人手が余っているくらいと聞いていたが   彼の新異動先では人手が足りず 受け入れることは出来る、と言われた

 

料理長には 目や耳で実際とても業務に支障が出ており お客様へのご迷惑になってしまう、という旨について語り 続けるか迷っていることを話した

思いの外親身に聞いてもらえ 大変だね、と言われたし 結構深いところまで話し合えた気がした

でも 店長は違った

次月のシフトを提出するように言われ 私はまだ分からない、と答えた

これまで常にシフトに入れてもらえる日が少なく労働時間を選り好みできるような状態じゃなかったので  休みの希望を出したことは無かった

全日出勤可能  が私だった

訝しんだ店長になぜかと問い詰められ 続けるか迷っている旨を伝えた

その結果  (他の店とこの会社を)天秤にかけるような人はこの会社に必要ない、そんな人は働かせられない等言われ 散々理不尽に怒られ 嘲笑われた後に

で、どうするの  と聞かれたので 今回のシフトで辞めます と言うことになってしまい  迷っている から 辞めるへと急激に状況は変化した

 

アレルギーがあるのに料理人を目指すなんて、とこの会社に入って色んな人に言われた

実際 最初のメニューにはエビのパスタがあり それは味見が自分で出来なかったために 他人にわざわざ味見してもらったりしていたので そう詰りたくなる気持ちも分からなくもない

けれど 自分の努力でどうこうできない部分を否定されるのはとても苦しい

自分が出来る仕事、というと とてもやりたいこととはかけ離れてしまう 

まず接客業は全て不可だろう 事務作業が相場では

ただし機械クラッシャーで機械音痴の私にそれが向いているとは思えない  内職や工場のような単純労働作業くらいだろうか、わたしにできることは

これまで看護師、飲食、と常に対人を求めてきた

人のためになる仕事がしたい

飲食を選んだ理由は  外食という特別な時間に 作るという立場で携わって貢献したい  という思いだった

今の職場でこれが出来ているとは微塵も思えない

そんな自分が 自分の努力次第で出来るようになれる範囲 で やりたいことをやるというのには  ファミレスのような大手のチェーン展開しているお店で 簡易調理のみNO味見で完全マニュアル化されているキッチン業務が相応しいのではないか と思った

 

ファミレスでまたバイトから始めよう

仕事を覚えて出来ることを増やせば役職を付けていくことが出来る

シフトリーダー、スイングマネージャーを目指して頑張ろう

こう思うには相当な葛藤があったし 正社員を捨てることへの躊躇いや後悔のようなもの   ファミレス時代の社員に対しての申し訳なさなど まだ拭いきれてない部分もたくさんある

売り言葉に買い言葉みたいな中で決まった退職で益々居場所がなくなった職場で日々身を粉にして働くことへのストレスは際限なく  拒食症1歩手前まで行った

3日ほとんど何も食べれなかった 水分を摂るのもやっとだった

不眠になった 栄養ドリンクが1日2本ないと身体が持たなくなった

幸いカフェインが効きやすい体質なのと アミノ酸の興奮作用もあり 栄養ドリンクを飲んでしばらくは普通に動けるようになる

ただしその反動はなかなかに厳しい

締め作業の次の日が開け作業というきついシフトや ひと月の最低労働時間数が足りないから と削られる休憩時間、元々強くない身体に無理を強いる日々に精神と肉体両方がぶっ壊れる寸前という状態だ

もうとっくにぶっ壊れている気がする

いや、まだ起きて仕事にいけてるから大丈夫だ

高校の頃よりずっと楽だ

 

高校の頃は 明らかに自分が社会的弱者であり 不幸 であった

虐待を受け 母は親権を放棄し 元彼から散々な扱いをされた挙句捨てられ…私は不幸だ 辛いんだ 助けてくれ と言えるだけの条件が常に整っていた

けれど今は違う  結婚し、いざと言う時に頼れる味方yもいる 実の両親とも距離が離れ干渉が減った 好きな事を仕事にし  猫もいる   社会的に見ればとても幸福だろう この状況で 辛いんだ 助けて欲しい と言えなくなってしまった

愚痴を吐くことも減った  だって明らかに自分より理不尽で  自分より酷い扱いをされる社畜y の前でどんなに自分の会社での扱いを嘆いても暖簾に腕押しである

むしろ自分がただ非常に怠けているような気持ちになる

結局最後はこうやって頼るのだからどうしようもない人間だが 今ならやっと言える

 

この半年間 とてつもなく辛かった 日々辛さが増して本当に生きるのがしんどかった

 

入社して半年、3月〜7月の5ヶ月分の給料は総額27万だった

 

よく耐えた  よく我慢した  よく頑張った

 

私は全力で毎日仕事をし続けている 

 

解放まで  あと4日  37時間  

 

もう二度とオープニングスタッフはやらない