見て見ぬふりへの後悔

 

 

身近で突発的に起こった事故に対して即座に手を差し伸べられる人はどれだけいるだろうか

例えば 電車の急な運転停止でよく聞くこのアナウンス

「急病のお客様がいらした為 現在運転を停止しております。暫くお待ちください。」

急病、がどの程度かにもよるのかもしれないが 緊急ボタンを押すくらいだ かなり深刻なのではないだろうか

同じ車両に居合わせない限り私はただ無事を祈ることしか出来ないが 多分急いでいるとか心の余裕によっては早く早く、とイラついてしまうかもしれない

 

というのも先日 杖を使用している片足が不自由に見られる女性が同じ車両に居合わせた

別の方が席を譲り 譲った席まで誘導していたことから存在を認識した

その後 とても大きな駅で電車を降り、階段を下っていると 後ろから「キャッ」との叫び声があり直ぐに後ろがザワザワし始めた。

通勤時間の狭い階段、歩みを止めることは二次被害を起こしかねない チラチラと後ろを伺いつつも前に進んだ

ざっと見た様子によると先程の杖を使用している女性が階段を踏み外し 腰を打ちすぐには立ち上がれなかったらしい(私が階段を下りきった頃には立ち上がれて 残りの階段を下り始めていた)

直後 倒れた彼女の傍では何人かの女性が手を差し伸べ 声をかけていたが 私は混ざれなかった

あれから2週間ほど経つがまだ後悔している

階段の昇降の手助けなら付け焼刃程度ではあるが心得がある  すぐに駆け寄り 手助けが必要か、どうして欲しいのか尋ねればよかった

 

実は私も電車内で倒れ意識がなかったことがあり  たまたま乗り合わせていた方々に助けて貰ったのだ

昔から譲り合いについてはよくよく教えこまれていたし自発的に声をかけることが出来る方だったと思う 

けれど自分が助けて貰ってから 更に気をつけるようになった

緊急事態になる前に 何か手助け出来ることがあれば緊急事態そのものを防ぐことが出来るかもしれない

体調が悪そうな人に 席を譲ったり 少し様子をうかがったり…些細なことだけどそれが自分の受けた恩の返し方のような気がしている

先日 明らかに困っていた女性に声をかけられなかった私は その使命を違えたような、そんな感覚であって何となく同じ時間同じ車両を使う時にはつい姿を探してしまう

 

突発的に起こった事故、と書いたけれど それこそ目の前で倒れるくらいのことが起きなければ皆気づかないのではないだろうか

普段電車内での視線はスマホか 目を閉じてるか というような人ばかりでは  顔色が悪かったり 少し呼吸がおかしかったりする人がいても 倒れない限りは気づかないだろう

そこまで把握しようと思うとなかなか難しいところではある

ただ目の前でそれが起きた時 手を差し伸べられる人でありたいと思う

 

倒れたことしかり 普段から身体が強い方ではなく体調面では周りに散々迷惑をかけている自負があり ペットボトルの蓋すら自力で開けられない自分では体力面等さっぱり役には立たないだろうが

自分でも分からないくらい苦しかったりしんどい時に手を握って声をかけてくれた人の心強さを私は知っている

色んなところで色んな人に何度も助けて貰ってきた私だからこそ出来る何かがあるんじゃないか  と今日もまた同じ後悔を繰り返さないようにそっと周りに気を配る

暑くなってきた最近、車内(室内)と屋外での気温差で体調を崩す人が多く出てくると思います

これを読んでくれている方に   まず自分が倒れないことが第1優先、でももし困っている人がいれば手を差し伸べれる人であってほしいなと思います