眉毛は人権

眉毛は人権、と言っても過言では無いと思っている

 

人の顔は眉毛の太さや形だけでびっくりするくらい印象が変わるし 色や濃さまで考え始めるともはや人が変わる

私が眉毛を人権とまでいうのは

自眉毛と完全に決別した今、

眉毛が無い顔は顔として成立しないと感じたからである

 

父方のとても立派な眉毛を受け継いだ私は幼い頃から 自分の眉が嫌いで

母や従姉妹のあるのかないのか分からないくらい薄い眉に憧れていた

 

チョチュと母が呼んでいた、所謂毛抜きを使えば眉を好きな形に整えられると知ってからは 暇があればせっせと鏡と向き合って

あーでもないこーでもないと格闘する日々 もう10年になろうか

 

鏡に映る眉とは不思議で 自分ではきちんと全体像を見て 形を整えているつもりなのだが

実際は半顔の 目と眉と鼻と口に合わせて整えているようで

手鏡から 洗面台の鏡へと視線を移すとなんともチグハグでガッカリしてしまう

無くなったものは元には戻せない

 

結局 左右での上下差や形を理想通りにすることは出来ず 遂に先日 自眉毛との決別を果たしたわけだが それはそれで問題もでてきた

 

まず 朝起きてから メイク(眉のみも含む)をするまで 当たり前だが眉毛がない

ちょっと出かけるとまでは言わずとも  宅配便の受け取りなどが気恥しい

宅配便のお兄さんお姉さんは受け取り人に眉毛があるかどうかなど気にもしてないだろうが

 

眉毛がない顔というのは 「眉毛がない!」となるわけではなく  なにか違和感がある なにか足りない という曖昧な気持ち悪さを生む

出かけた先で何故か眉がない人に出会うと 自分もそう言う気分になる

その気持ち悪さの原因が眉毛だ、と気づくのはなかなか難しく チラチラと気になって見てしまう

 

また 自眉毛が無い分 ちょっとでも 自眉毛希望者がおはようと顔を覗かせるだけでも 汚くなり 無造作、といえば聞こえはいいが

要は無法地帯  ジャングルである

よりこまめな手入れが必要となり これはこれでちょっとしたストレスである

 

今 結婚をし 旦那さんと横並びで眉を整えるなんて日もあったりするのだが

彼を見ていると 男の人もきちんと眉を手入れしてあった方が清潔感もあり 顔がすっきり綺麗に見えるなぁ と思う

 

今どき美容院のクーポン説明なんかに メンズカット+眉カット なんて言うのをよく見るが

眉毛の影響力は本当に凄いので 是非一度プロに整えて貰ってみてほしい

 

これは私が勝手に思ってるだけだが

髪の毛の色を全体的に染めるのなら

眉の色も合わせて欲しいなと思う

金髪に黒眉はなんとも違和感満載

最近どんどん進化するコスメの中で眉毛の色の種類が増えているのは きっと私と同じ考えの人がいてくれるということだろう

 

 

何はともあれ 眉毛は人権である

あとどれ位 場数を踏めば左右差のない理想の眉に出会えるのだろうか

 

初めまして 雨

雨の日は憂鬱、と思う人は多いのではないだろうか

というのも 今日仕事前の準備で忙しい時間にふと ブログを始めたいと思ったわけだけども

如何せん仕事前であってのんびり構成を練ることも出来ず  仕事中は仕事で手一杯で

やっと落ち着いた今 さてまずアプリを入れようかというところから始めて 新規作成まで来たところなのだが

仕事帰りの帰り道 久々の雨に強い風で台風のように煽られ すっかりやる気が失せてしまった

雨の日は憂鬱というのは  やる気のなさを雨に責任転嫁しただけのものなのかもしれないけれど いつもは必要のない荷物、傘が増え

片手は傘に埋まり 普段はだらりと力なく下げておいていい腕をしっかり上げて 風に煽られる傘を持たねば 頭を濡らさず外を歩くことが出来ない 傘とはなんてうっとういい存在か

しかもそれだけのことをしても 傘が守れるのはたかが頭だけである 上着は濡れ 足はもはや言うまでもない

ブログを書こうと思った時はこんな鬱々と雨をなじる予定はなかったのだが

 

ただ雨の日にしか見えない景色もある

雨の匂いは小さい頃から好きだ

雨が降る前と 雨が上がった後の独特のあの匂い

実際は雨と言うより土が濡れた匂いなのかもしれないけれど

 

外を歩いている時 ふと匂う「あ、雨が降る」という瞬間は 頬が緩むのを止められない

ちょっと重たいその空気を肺いっぱいに吸い込んで 幼い頃祖母の畑で走り回った思い出に浸る

普段履くことのない長靴を履き いつもの道にはない鏡たちを覗き込み 雨が落ちたところから放射状に広がる歪みを数え

土の地面はいつもとは違う感触で 泥はねなんて気にせず足踏みをし飛びはねていたあの頃

雨上がりの匂いでは  顔にシワを寄せて えぇ〜とはぶてるくらい

今はこんなにも憂鬱な雨があの頃はとても楽しみだった

 

いつから雨が憂鬱と思うようになったのだろうか

ふと思ったのは 手荷物

幼い頃は 荷物なんて何も持たずに

体ひとつで走り回っていたものだったが

大きくなるにつれて出かけるのに荷物が必要になった

携帯、ICカード、鍵、ティッシュにハンカチ、お財布……ちょっとそこまで出かけるのにポケットだけでは足りなくなって

ポシェットを持つようになり それがいつしか肩掛けカバンになった

手に持つカバンを好まないのは 両手を広げて自由に遊んでいたあの頃の名残なのかもしれない

荷物があると 雨に濡れないように気をつけなければならないし

濡れて欲しくないものも増えた

いくら防水といえど 携帯やスマホが濡れるのはやはり不安なものだし 鞄の中身に濡れていいものなどない

学校のカバンの時は 大雨に降られるとノートの端が濡れてはバサバサと広がりため息をついたものだ

大切な紙が濡れた時には 丁寧に伸ばして新聞の間に入れ辞書に挟んで乾くのを待ったが

やはり1度濡れた紙というものは 元には戻らないということを知った

更に  手荷物に加えて傘も持たねばとなると

手も塞がり その分憂鬱になるのは仕方ないのかもしれない

 

今度休みの日に雨が降ったなら

手荷物を何も持たずに傘だけさして近くを散歩してみようか

普段は前ばかり見て歩く道の 側溝に流れゆく水や 濡れた植物、傘の隙間から見える景色や いつもと違う車の音を体ひとつで感じてみれば あの頃の楽しかった気持ちをもう一度味わうことが出来るのかもしれない