母さんが母さんをやめた日

私の母は 戸籍上もう母親ではない

とはいえ血の繋がりが無くなった訳では無いので母親であることに違いは無いのだが 

書類上、という表現は私を今も苦しめている

 

物心ついた頃には既に母子家庭で 母子家庭ならではの経験だってしてきた

小学生 給食代を援助してもらっている家庭の子が その事でいじめられた話をした日 目の色を変えて母は怒った

私も給食代の援助してもらっている立場だった

病院に行くと1人だけ保険証ともう1つ見開きの紙を渡していた

病院の受付でお金を払う人を不思議に思っていたが何も聞けずに静かにしていた

ある日 病院でいつものようにお金を払わず ありがとうございました と声をかけて靴を履いた時

見知らぬ奥さんに声をかけたられた

あなた お金は?と   え、と戸惑う私は受付のお姉さんに庇われたけど その奥さんや待合室にいた人たちからは白い目で見られ  税金の食い潰し いい暮らししてるくせに なんて言葉を浴びた

母には言えなかった

 

隣の人は 母子家庭というだけで 母を毛嫌いしとんでもない嫌がらせや 根も葉もない噂を撒き散らして私たちの居心地を悪くさせた

同じ市営住宅に住む仲間のはずなのに  母子家庭なんだからこんなとこ住まなくても十分暮らせるじゃない、母子家庭だからこんな子になるのよ とネチネチとすれ違う度に文句を言われる中で 母は私に

笑顔で挨拶をしなさい  と言い聞かせていた

 

母子家庭は唐突に終わりを迎える

高校一年生の初夏 放課後の教室

友達と課題をしていたとき

母から 「もうあなたとは暮らせない」と1通のLINE

その後 学校への距離の関係で 父方の祖父母宅に居候することになり 夏も終わる頃 父の突然の一言で家族3人で暮らすことが決定した

母と暮らしたあの狭い家に3日泊まり込みで引越しの作業をした

古いアルバムや 小学校6年間使ったランドセルを見て 母と思い出を語った

私のアルバムは赤ちゃんの頃と七五三くらいしかない

母の結婚式のアルバムの写真は幸せそうに見える

ほとんど寝ずに片付けをし 2人で掃除をしたあの日々は忘れられない

何故あの日 母はわたしと暮らせないと言ったのか

分からないまま 許されたような気になっていた

 

一緒に暮らすようになっても 実情はシェアハウスのようなもので 父と母は度々にぶつかり喧嘩をした

時々夕食の時間に 父と母と3人でコタツ机を囲んだ時には あぁこれが私の思い描いていた理想の家族だ と思ったものだが 母の顔は日に日に暗くなるばかりで

なんとも言えない日々が続いた

また初夏が近づいた頃 母は家を出ると言った

あの日 夕食の席で私は わかった としか言えなかった

母は1度決めたら 誰が何を言おうと意見を変えることはない

何度も何度も考えた末の結論に 固い意志に  その日その場で初めて聞いた私の付け焼き刃の言葉なんて届くはずがない と諦めた私はただ母の言葉を一生懸命に飲み込むことしか出来なかった

母の疲れが滲む顔で目だけに 少しホッとしたような解き放たれたような 光が見えた気がした

話し合い、というものは 基本お金や親権のことで なんとも事務的かつ効率的なものだった

本当に家族だったんだろうか あの半年と少し3人で過ごしたこの日々はなんだったんだろうか 母には負担でしかなかったのだろうか 母は何を考えていたのか 何を考えているのか 頭の中には色々と聞きたいことが溢れているのに何一つ聞くことは出来ず

耳を塞ぎたくなるような父と母の口論の中 1人生きていく道を探った

母のいないこの家で父と暮らせるはずがないと心が警鐘を鳴らしていた

3人で過ごし始めてからの日々の中で 母は取り繕った顔で父と私の間でクッションになってくれていた

父の歪んだ愛と 思春期の私、15年以上離れて暮らしていた相手と上手くいくはずがなく それは虐待だった

結局1人生きていく道 というものは大人たちの圧力によって押し潰され私に選ぶ道は残されないままにその日が来て

母は朝学校に行く私に 「2人で大丈夫?」と声をかけた

1度も一緒に行こうと言ってくれなかった母

私を置いていく前提で常に話していた母のたった一度だけの歩み寄りに 私は 大丈夫だよ と答えた

母の苦しみは 私には全て分かることは出来ないけれど 自分の存在が母を苦しめていることには気づいていた

あの時 大丈夫じゃない 私も連れて行って 一緒に逃げて と言えば何かが変わっていたのだろうか

やっと解放される母に縋りついていれば その後の辛く苦しい日々を過ごさずにすんでいたのだろうか

母の最後の言葉は 「行ってらっしゃい」 

もう二度とおかえりと言ってくれないあの人のあの口から紡がれた私に向けた最後の言葉

学校から帰ると 母の部屋だったところにはもう何も残っておらず 家電や食器たちもほとんどが無くなっていた

実は3人で暮らし始めてから母の部屋に入ったことがなかった私は 扉越しに見える母の身長より高く積み上げられた荷物しか見た事がなかった

あれだけの荷物がこんな狭い部屋に詰まっていて あの人は一体どこでどうやって寝ていたのだろうと愕然とした

あの人のいない あの人の部屋だった空間で1人泣いた

ただの一筆も残さず 何を言うことも無く消えたあの人

今どこにいるのか 生きているのかすら分からないあの人は

今 私の母というしがらみを捨てて自由になれたのだろうか

 

高校を何とか卒業し 卒業したその日のうちに逃げるように上京した私はもうすぐ4年目のその日を迎える

未だ過去から脱することの出来ない私は3年をかけて自分の今までの境遇や特殊な家庭環境について向き合え始めたところで 

 

今日もまた母と2人で過ごしていた頃のお揃いのマグカップでホットミルクを作り 眠れない夜にあの人を想う